« 韓国の山 月出山に登る | 登山旅行記(6) | 韓流登山ブーム到来か? »

韓国の山 智異山に登る

<おおらかな山、智異山 >
韓国語でチリ山と呼び、朝鮮半島南部全羅道に位置し、(雪岳山)ソラク山、(漢羅山)ハンラ山、と並び韓国の三大峰としてその名は轟いている。
ハンラ山は死火山の独立峰、ソラク山は岩稜峰、チリ山はそれらと全く異なる大きな山塊で、端から端まで歩くと最低3泊4日はかかり、韓国では唯一数日かけて稜線縦走登山が出来る山である。
雄大な縦走登山は人気が高く、ソウルから北側登山口までの直行バスは、頻繁にある。
宿泊設備に関しては、テント泊か小屋泊まりだが、韓国の山小屋は待避所と一般的に呼び、日本のような食事サービスは一切無い。
従って小屋泊まり登山でも、自炊登山に成る。
勿論チ~ンご飯や缶詰は売店で買う事が出来るが、とても味気なく、山の楽しみが半減するので、しんどくても持って上がるべきであろう。
山麓には新羅時代からの名刹が大変多く点在し、山行後お寺周りすると、レンタカーを借りても3日は掛かるのではないだろううか。
山容は)
韓国独特の岩稜がむき出しの、岩と松の山ではない。
遠くから山だけを望んだ感じは、日本の山の様な、なだらか~で優しい雰囲気が伺われる。
しかしいったん山には入り歩き出すと、道はやっぱり韓国、岩だらけで殆ど土道は無いと言って良いだろう。
チリ山というよりはチリ山脈と例えた方が、適切では無いかと思う。
多くの峠からはあちらこちらへ道があり、下山時間が6時間ぐらいが平均なので、エスケープルートとして十分に活用できるだう。
計画を大きめに作り、体調や天候次第で臨機応変に山行内容を変えるのも良い。
なにせ韓国でも、滅多に行ける地方でないから、行ける時には贅沢な計画を立てたらどうか。
交通アクセス)
往路=釜山市金海国際空港から西部市外バスターミナル迄タクシーを使い高速バスでチュンサン里登山口迄行く
帰路=ペクムドン登山口からバスを3回乗り継いで、やっとこさ釜山に到着と言う、とても複雑な行程に成ってしまった。
几帳面に日記を付けない私には、後日説明が出来ないのが申し訳ない。
登山行程、コースタイム)
一日目)チュンサン里登山口>120分<ポゲ寺>150分<チリ山頂上>80分<チャントクモック待避所 宿泊
2日目)チャントクモック待避所>130分<チョデ峰>30分<セソク山荘>230分<下山ペクムドン登山口到着
民泊宿泊
行程まとめ)
全羅道はなかなか訪問するのに、交通手段や掛かる時間も大変で、かなり思い入れを強くしないと行く気が起こらない所である。
今回一番の問題は、いかにスムースに短時間に登山口に着くかであった。
余りに複雑に手間がかけると、登山口に着いた頃には、登る意欲がなくなるからである。
あれこれ考えたあげくに、本町にある大阪韓国観光協会へ訪ねる事にした。
受付の女性は、とっても親切で、バス路線表や時刻表も持ち出してきてくれて、登山口のチュンサン里へ行く方法を考えてくれたのだが、やはり釜山からはいる方が良いだろうと言う事になった。
ただ釜山からは路線高速バスを乗り継いでいく方法なので、バスを乗り間違えない様にしないと行けないのだ。
韓国での話しだから、思った様に行ける保証が無い上、ずいぶん長い間バス旅行をしていないので、自信が薄れていたのだろう、出発前夜はあれこれと復習してなかなか寝付けなかった。
しかし当日、実際は釜山西部高速バスターミナルから乗り換え無しで一発で、チュンサン里登山センターにあっけなく到着してしまった。
運の良い方の予定外の結果となった。
まだ3時前だったので民泊を探すのも余裕余裕、飛び込んだ民泊部屋に荷物を解いて、軒先で早速メクチュ(麦酒)で、”ラッキー!本日はご苦労様”と自分に声をかけた。
夕食時、宿の主人に登山ルートなどの情報確認をすると、大体頂上まで4時間ぐらいらしい、
道も全く解りやすいと言う事で、何とかなるやろ!と半分安心して部屋に入った。
窓からはチリ山が見える。
夜空には星が輝き、明日の晴天を約束してくれた。
翌日6時に、玄関に降りて主人が登山口まで車で送ってくれるのを待っていた、がっ 全く現れない。
どうしようもなく20分程ボ~としていたら、女将さんが起きてきて、変わりに送ってくれる事になった。
車中で事情を聞くと、御主人は夜半に博打仲間と外へ出かけたまま帰ってきていないらしい。
私との約束は勿論忘れたようだ。
確かに夕食時食堂で食べていると、近所の悪友が集まってきて花札を延々とやっていたのだが、初っぱなから出鼻をくじかれた格好となった。
しかし登山は至って順調であった。
登山道は道標も極めてしっかりていて、間違いようもなく、登山者も多い。
緊張する事も無く、楽しくリラックス出来る山歩きとなった。
道は沢沿い、やはり岩の上や横をあちらこちらへ縫って歩く堅い道である、後で足にトラブルが起こらない様に、最初はゆっくりと歩く事を心がける事にした。
ポゲ寺への道は木立の中を歩くので、展望は殆ど無い、単調な道ではあるが、韓国の木立は木が低いので、意外と暗い感じはしない。
120分程でポゲ寺に到着。
この寺は山の中腹にあり、ここまでお参りだけの登山者も結構多いのが、目に付いた。
寺は大きな岩の上にお堂が建っていて、展望も良好である。
山頂までは、ここが最後の水場、岩の間から湧き出る、ありがた~いお水である。
韓国の場合これらを”薬水”と何処でも呼んでいるが、ここの水は特に大事にお祭りしてあって、有り難さが数倍増している。
お布施をすると、尼さんがマッカ瓜を剥いて下さった。
50歳以上の人には懐かしい果物である
最近日本では殆ど見なくなってしまった果物だが、韓国や在日食堂街では、今でも人気の果物である。
あっさり甘い味は昔と変わらず、山で食べるには返って喉越しが良いのに驚いた程である。
昔、夏になると母親が、おやつとして良く食べさせてくれたものである。
寺からは頂上までは、平凡な道になっているが、頂上直下30分は、上を仰ぎ見る岩場歩きの急な登りになり、ひと踏ん張りが必要になる。
頂上には歩き始めてから4時間半ぐらいで到着、呆気なく着いてしまった。
岩場頂上はかなり広くなっているので、大勢の人が休憩や食事をしても心配がない。
頂上から次の目的地チャントモック待避所への道は、アップダウンを繰り返す縦走路となッて行く、立山ミクリガ池遊歩道見たいに、見事過ぎる程整備されていて、ワイルドファンには不満を感じるかもしれない。
ノコダン迄の4日間縦走路は、多分にこの様であると韓国人が説明してくれた。
確かに縦走路は迷う事は無いと思われる。
チャントモック待避所には昼を幾分回った頃に到着してしまったが、当初の計画通りに、ここに泊めてもらう事にして、宿泊の交渉に入った。
予約のない者は宿泊不可能が原則であるが、遠く日本から来たとお願いすると、山荘のお兄さんが、とても親切に場所を分けてくれた。
#(予約はインターネットでする人が多いとの事だった)
と言うのは寝るスペースには全て番号が打ってあり、予約番号でそのスペースが与えられるので、適当に出来ないのだ。
宿泊券には毛布券も付いていて、お金を払えば多めに毛布をもらえる。
中はとても清潔である。
泊まれる確信が出来たので、心は緊張が解け、山荘前広場で持って上がってきた酒を飲み、日向で寝てしまった。
寝ながら三々五々現れては、通過していく多くの登山者を眺めているのもソレはソレで面白い、人気ブランドや韓国と登山業界の傾向が手に取る様に解る、いつの間にか休暇モードが仕事モードに切り替わっているのであった。
宿泊者は山荘一階の調理スペースで自炊をする。
ここでは一切の食事サービスは無いので行かれる方は気を付けなくてはならない。
二日目は6時出発、次の目的地はソソク山荘、清々しい朝日を全身に浴び、心も軽やかな出発となった。
縦走路の木々は赤く染まり、とても気持ちがよい。
まだ早朝だというのに、反対側から高校生の200人を超す団体がドンドンと歩いてくる、多分学校行事であろう、引率の先生が声を枯らしている。
道は幾つもの細かなアップダウンを繰り返し、峰を越えていく、70分で・・峰という展望の素晴らしいところに着き、岩の上に登り振り返るとチリ山頂上青天峰が大きく肩を広げている。
眼下にはソソク山荘があり、この辺一体は高山植物保護地帯になっていて、有名な高山庭園である。
チリ山の写真もこの風景を撮った物が多い様に思える。
ソソク山荘はチャントモック山荘と大きさは同じぐらいのようだ
さて本日はここよりハンシン渓谷を下る事にする。
縦走路とハンシン渓谷への道は交差していて、はっきりと表示があるので全く道を間違う事は無い。
道は急角度で下っていく、全て岩道であるから膝腰を痛めない様にじっくりと歩く事にした。
 30分程下ると源流が見えて来だした。
この源流は次第に流れが出てきて、次第に沢となって行く、岩道はあちらこちらへ曲がり、赤テープを見落とすと、何処へ行ってしまうか解らないので、注意が必要だ、実際にも対岸に渡る様な所も多々あり、間違えたか?と緊張する場面が
何回か経験した。
落ち着いて見渡せば、何とか道を探せるのだが、その瞬間は”えらいこっちゃ”韓国の山で客死する訳にはイカンガ!と胸騒ぎする。
根が 焦り屋ビビリ屋で、相変わらずこの点はいつも反省する。
つまりこの道は登りに使う道の様で、途中から多くの登山者上がってきていた。私が源流にいた時間帯は人がおらず、又登り専用に使うので、ルートマークが上から見下ろす所には、付いていない様である。
何処の国でも沢は登り、下りは良い道と言う事であろうか?
2時間程下ると、沢は渓谷と成り、流れは大きく成ってきた。
深い谷、滝もあり、そうなると道はもう迷う心配はなくなる。
このあたりまで下ると、登りの登山者がドンドンと上がってくる。
谷間の岩の上では休息を取っている人もいる。
道の傾斜は緩く渓谷も大きくなって来だしたが、ここからが思ったより長く、何処まで歩いても渓谷歩きがズ~ト続く感じがした。
朝6時から歩いて、1時半 やっ~とゴールのペクムドン登山口に到着した。
なかなかに長い岩上歩きでだったので、
足がガタガタに成っていたし、急ぐ旅では無いから、このあたりの民泊で泊まる事に決めた。
清潔そうで親切そうな民泊を選んだ、と言うのは、そこの表で若い女将さんが食器を洗ったり、登山客に食事を出している姿がとても一生懸命であったからだ。
後から知ったのだが、この女性は遠く北朝鮮と接する中国領から嫁いで来た、朝鮮族中国人だ。
顔は明らかに朝鮮系顔ではなく、中国北方系の顔であった。
韓国の過疎地帯も日本同様に嫁の来手がないらしく、彼女の様な朝鮮族が嫁いできている様である。
子供さんを交え、夕食時にこんな話になったときは、結構考えさせられたのだった。
さて荷を解き、落ち着いた後は、宿の向かいにある縁台に上がり、待望のメクチュ(麦酒)を飲ませていただいた。
縁台からは美しい渓谷が見下ろせ、木陰から涼しい風がサラサラと渡ってくる。
ザ~ザ~という流れの音を聞いていると次第に眠気がし、いつの間にか寝てしまった。
寒くなって目が覚めたのは、5時を回っていただろう。
夜 山の神に無事下山を感謝し、床についた。

コメントください

返信するまで、多少お時間をくださいませ。また、内容によってお答えできない場合があります。ご了承ください。

プロフィール写真

検索

Site Info.

rssリンク

rssリーダーをお使いの方は、上のバナーのリンク先をご利用ください。

多くのアウトドア関連ブログも参加されているブログランキングです。

Valid XHTML 1.0 Transitional

Valid CSS!

Movable Type

空友のオフィシャルバナー
www.yoshimisports.co.jp

リンクはフリーですが、ごれんらくいただけましたら幸いです。