柏原の遺跡巡り
最近 柏原/藤井寺の色々な本を買って 探訪しています。
6世紀には渡来系の氏族が住み着き、古代寺院がひしめく一大交通の要所で有ったとの事だ。
その頃の天皇・外国からの人々は この柏原の地を経由して難波と大和を行き来していた。
聖徳太子もそうである。
現在の大和川を見ると想像が出来ないが 江戸中期迄(大和川付け替え以前)は石川との合流点が西の端であった。
河内国府遺跡のあった場所は大和川の南ではなく 大和川が難波の方に枝分かれしていく 重要拠点であったらしい
今 近鉄柏原南口駅から見る国府遺跡跡は盛り上げられた川堤防の下の変な場所になっているが 昔は堂々たる政府の行政地域だったらしい。
農産物等の荷物は水路で運搬した。
明治になり鉄道が敷かれ 輸送手段が激変するまでは 国府村は大和への荷物の中継地点として 驚くほど栄えていたとある。